めざせ!国道走破

日本中の国道走破を目指すブログです。

生存報告20220827<折り返し>

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本日は1本の国道を走行しました。
これにより、走破数が230本となり、本数ベースの走破率が50%を越えました。
ついに、折り返し地点までやってきたというわけです。

 

国道291号(順走・群馬県前橋市⇨新潟県柏崎市)

 

 

 

 

国道291号

国道291号は群馬県の県庁所在地・前橋市と、新潟県中越地方の柏崎市を南北に結ぶ路線です。

何と言ってもこの国道291号の一番のポイントは清水峠の分断区間でしょう。

 

この清水峠の現在の様子をお伝えする前に、少し歴史を振り返ってみたいと思います。

元々、この清水峠には登山道しか存在しませんでした。
これが、現在国道に指定されるようになったきっかけは、1878年(明治11年)に大久保利通によって立案された土木7大プロジェクトでした。

このプロジェクトの中に、群馬県と新潟県の県境にある清水峠に道路を建設し、陸路で直接結ぶというものがありました。
当時は自動車自体は発明されていたものの、日本に持ち込まれたがどうかの時期でして、この道路は馬車を通すための道として設計されました。

計画の立案から7年後の1885年(明治18年)9月に清水峠を含む全線が、当時の国道8号として開通しました。
工事開始から4年での開通でして、かなりの難工事であったことは想像に難くありません。

皇族や当時の内務卿も招かれて、峠上で盛大な開通式が開かれたという記録もあり、大きな注目を浴びたプロジェクトであったとことが伺い知れます。

 

しかしながら、開通式のわずか1カ月後、土砂崩れによる通行不能箇所が複数発生してしまい、これを修復することもままならないまま、冬季閉鎖となってしまいました。
谷川連峰は日本でも有数の豪雪地帯でして、少なくとも半年以上は雪で通行不能になってしまいます。
雪解けの後、再び馬車が通れるように修復するのは至難の業だったようです。
結局、数年は復旧を試みたものの、断念せざるを得なくなり、道路としては放棄されてそのまま廃道になってしまいます。

 

群馬県側の区間は登山道として活用されているため、徒歩で清水峠まで入っていくことはできるようになっているものの、新潟県側の区間は荒廃が激しく、一般の登山者では通行が困難であると言われています。
もう完全に自然に還ってしまっていると言えるでしょう。

まあ、私の実力では、そもそも清水峠までたどり着くことが難しいのですが(笑

 

戦後、昭和国道が整備された際、旧国道8号の清水越えの区間は国道に指定されることはありませんでした。しかし何を思ったか、清水越えの区間を含む形で国道291号が指定されてしまいます。
しかも、徒歩でも通行が困難な廃道の区間も、供用済みの区間として指定されてしまうというおまけ付きです。

おかげで、車も、人すらも立ち入ることができない区間が国道として指定されてしまうということになってしまいました。
まさに、酷道オブ酷道ですね。

ちなみに、実際にこの自然に還ってしまった区間を全線通行した方もいらっしゃるようで、驚きを隠せません。
私にはそんな芸当は不可能ですので、大人しく車が通行可能な区間のみを走行することにしました。

 

さて、前置きがだいぶ長くなってしまいましたが、本日撮影した沿線の様子を紹介していきます。

 

まずは、群馬県区間の端点へ・・・と行きたいところですが、こんなトラップがあります。

ここは谷川岳ロープウェイの麓駅から、少し進んだところで撮影したものになります。
群馬県区間の端点は一ノ倉沢になっていて、そこまでが車両通行可能な区間なのですが、何とロープウェイの麓駅から先は、マイカー規制が行われているのです。

つまり、私の車では入っていくことができません。

入れるのは管理用の車両のみですので、この区間で車を運転することもままならないという状況です。

清水峠の車両通行不能区間が、国道に指定されているというだけでもややこしいのに、車両通行区間ですら最後はマイカー規制が入っているという、徹底っぷりでとことん人を寄せ付けないようになっています(笑

仕方ないので、谷川岳ロープウェイの駐車場から一ノ倉沢までは歩きます。

 

片道3.3km、1時間弱の登山となります。
元々馬車が通れるように開削された道ですので、勾配が比較的緩やかであるということが救いですね。

 

というわけで、ひぃひぃ言いながら登り、一ノ倉沢まで到着しました。

 

ここが車両通行可能区間の端点です。

端点のところには、ご丁寧に通行止めの標識が設置されています。

 

まだ舗装路が続いているので、少しだけ先まで足を延ばしてみます。

これは一ノ倉沢の出合です。

石垣で道の土台がくみ上げられており、沢は国道291号の下のトンネルを通す形で交差しています。
洗い越しにしないための工夫ですね。

 

出合から見た沢の上流の様子

 

下流の様子

 

さらにもう少し進んでいくと舗装路が途切れ、ダートになります。

 

馬車が通れる道なので、そこまで勾配は酷いことにはならないと思いますが、何の装備もなく山に入っていくわけにもいきませんので、ここで引き返すことにしました。

 

歩き疲れてしまったので、帰りはこのシャトルバスに乗ります。

 

谷川岳ロープウェイから一ノ倉沢までの区間ではたくさん写真を撮影していますので、これは詳細レポートで紹介できればと思っています。

 

分断区間を迂回する前に、少し立ち寄りです。

JR土合駅へやってきました。

JR上越線の群馬県側の最終駅になります。

 

群馬県方面と新潟県方面でホームが異なるようで

 

群馬県方面のホームはすぐに辿り着きます。

 

しかし、問題は新潟県方面のホームです。

新潟県方面のホームは地下にあり

約500段の階段を下った先にあります。

 

せっかくなのでホームまで下りてみました。

 

下ったということは

これを登らなければなりません・・・

軽く苦行でしたね(笑

 

 

さて、清水峠を迂回して新潟県側端点にやってきました。

 

national-route.hatenablog.com

ここには、昨年下見に訪れており、その時の様子は生存報告しております。

 

新潟県側の端点にも通行止めの表示があります。

この先にある砂防ダムのところまでは舗装路になっているということでしたが、今回は疲労困憊のためパスすることにしました(笑

 

 

さて、冒頭でも書きましたが、今回の国道291号走行で、ついに本数ベースの走破率が過半数を越えました。
この挑戦を始めて約3年半、折り返し地点に到達です。

 

「はじめに」のページでも触れている通り、この挑戦を完遂するのに20年ぐらいかかるんじゃないかと思いながら始めているので、3年半での折り返しは想定よりもかなりのハイペースということになります。

まあ、最初の目論見が安全側に倒し過ぎて、ガバガバだっただけといううわさもありますが(笑

national-route.hatenablog.com

 

 

最初は、本当に完走できるのかどうか半信半疑で始めたところもあり、どこかでギブアップしてしまう可能性もかなり高いなと思っていました。
正直、見切り発車的に始めた感じもあります。

ただ、ここまで走ってきて、まだ半分ではあるものの、難関と思しき道もいくつか走破してきています。

 

日本三大酷道にあげられる路線の内、国道439号と国道425号は既に走破しています。

national-route.hatenablog.com

 

北海道にも沖縄にも行きました。

 

国道58号という私の制限では、かなりきついであろうと想定される道も走りました。

national-route.hatenablog.com

 

海上区間(フェリーがないので、陸上を大回り)がある国道499号も難なく走っています。

national-route.hatenablog.com

 

 

まだまだ、大物は残っていたりしますが、折り返しを迎えたことで、この先も何とかなるんじゃないかと楽観視できるようにはなりつつあります。

3年半で折り返しなので、7年で全走破なのでは?と思われるかもしれませんが、流石にそれは難しそうです。
何より開通待ちの路線が結構ありまして、3年半後にそれを走れる見通しが立っていないものがいくつかあったりするので、そもそもが無理ということですね。

 

とは言え、ある程度の時間をかければ最終的な目標である「全ての国道を端から端まで走る」ということは達成できるのではないかと、少しでも実感できるところまでやってくることができたかなと個人的には思っています。

引き続き、この無謀な挑戦の様子を紹介していきたいと思いますので、見ていってもらえるとありがたいです。

 

 

それでは、また。

 

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